2010年3月9日火曜日

Chasm Bridge 46: Pandora Radioは如何にスタートアップキャズムを乗り越えたのか?その成功ストーリーを探る #wondershake

先週(3月1日~3月7日)は文字通り怒涛の一週間でした。
対話に次ぐ対話。
先駆者の方々から彼らの世界観をじっくり伺い、
そこで改めて再発見すること、思い出すことがたくさんあり本当に刺激になりました。


(本日も夕日を見に崖へ行きました。いつもここに来るとアイデア・クリエイティビティーが自然と溢れます)

また週末はロスで開催されたICU大学の同窓会に参加
当日は去年お世話になっていた元東芝米社長の方に挨拶をしようと想い、サンディエゴ出発。
同氏は米国、ヨーロッパにてハイテク系ベンチャー5社のボードメンバーを現在も務めていたので、このタイミングで是非お話がしたかった人物です。
しかし。結局ロス行きの電車が遅れてしまい1時間ほど遅刻。3時間かけて到着したのですが、ロスは雨もドシャ降り・・・本当に今日は不運だなと当時は落ち込む。
しかし、そのコストのおかげで凄い経験が出来ました

偶然遅れて参加した際に出会った財団の方に温かくかまって頂き、東芝の方や、ICU大学のトップ運営者の方々のホテルに一緒に宿泊。そして夜中彼らと共に4時間程じっくり面白い対話が出来ました。
Luck is Part of the Gameとは良く、言われますがそれを痛感した週末でした。
そしてその中で、『感謝の還元』について深く考えさせられました。こういった出会いが生みだす可能性に感謝していますし、この感謝を自分から世界中の人間にも届けていきたいと感じられます。

前置きはさておき。
本日は自分が愛用しているウェブサービスの誕生秘話についてお届けします。
日本の皆さんはPandora Radioをご存知でしょうか?

ウェブ上のラジオサービスで、自分が好みの曲に合わせてオリジナルラジオを一瞬で作成してくれます
同サービスは既に10年も存在していますが、何度も死に瀕する経験を潜り抜けてきました。しかし現在では4800万人のユーザー、そして2009年は50億円の収益を記録今年は100億円の収益を到達する見込みです。

本日は、そのサービスが如何にスタートアップが直面するキャズムを超えることが出来たのか、そのTipping Pointにフォーカスしたいと思います。

記事原文は:How Pandora Slipped Past the Junkyard
ソースは、ニューヨークタイムスのテクコーナー

事業を始める方等には参考になると想います。
では、どうぞお楽しみ下さい。

**和訳 開始**

インターネットラジオステーションであるPandoraを創設したWestergren氏にとって、同社の現在の成功は想像を絶するものだ。何故なら過去10年のほとんどを、同サービスは投資家探し、そしてレコードレーベルとの著作権を巡った戦いで費やし、文字通り死と向き合わせで成長してきたからだ。

もしPandoraが消滅していたら、テク企業の墓地に眠る無数の音楽関連スタートアップとそれは同列の扱いをされていたかもしれない。その例としては、SpiralFrogや初期のNapsterが挙げられる。しかしその代わりに、現在PandoraはiPhoneアプリをエンジンに成長し、同社が株式公開が出来ると多くの投資銀行の人間に注目され、スタートアップが描く最高のシナリオをこの瞬間生きているのだ。

Pandora Radio上では4800万人のユーザーが音楽を1月に平均11・6時間視聴している。そしてこの数字は、Pandoraが今後、自動車製造者やテレビ・ステレオ等がAM/FMラジオ同様に、内蔵されることでまだまだ伸びると想定されている。

私達は何年も暗闇でもがいていました』と現在同社で戦略部門の代表を務めるWestergren氏は振り返る。
そしてこう続けた。『しかし今は、想像を絶するような経験をしているよ』

2009年の終わりには、Pandoraは初の黒字四半期発表を50億円と発表した。主な収益源は広告とiTunesやAmazon.comからの音楽登録・購入である。William Blair所属のデジタルメディアアナリストであるRalph Schackart氏曰く、今年その収益は100億円に達する。

またPandoraの成功の主要因は忍耐力、そしてユーザーから勝ち取った根強い忠誠心、また柔軟なシフト力にあると想われる。ビジネスから消費者へ、登録制から無料制へ、コンピューターからモバイルへ。失敗からPandoraは学んだ



Pandora幹部の人間は、株式公開よりその成長にプライオリティーを置いていることを強調するが、同社はパブリック化実現に向けて準備を着実に行っているようだ。その証拠に先月同社は、Salesforce.comをIPO化させたSteve Cakebread氏を財務代表社として招聘している。

2000年1月から始まったPandoraの旅は長かった。創設者であるWestergren氏は、ジャズピアニストとしてキャリアを始め、その後映画制作者として10数年を過ごした。そして、映画製作ディレクターが好む曲を探すために、音の構造を分析していた際に、『ミュージックゲノム』を創造するアイデアを思いついたそうだ。

これが1999年。同氏はアイデアをウェブスタートアップへと具現化し、エンジェル投資家から1・5億円の投資を勝ち取る。初期段階でサービスはSavage Beast Technologiesと呼ばれ、音楽推薦サービスをBest Buy等の企業に対して販売していた。

2001年の終わりには、50人の従業員が同社は雇用していたが、資金が如何せん無かった。毎2週間、ミーティングを開催し、そこで人々に無給でもう2週間共に働いてくれるよう頼んだ。そしてこのサイクルはその後さらに2年続いた

その間に、同氏は無数のベンチャーキャピタリストにプレゼンテーションを行い続ける。そして11枚のクレジットカードを使い果たし、企業旅行としてネバダ州のレノ地域に生きギャンブルで資金を稼ごうともした。当時はITバブルが弾け、投資家の人間は凍りついていたのである。

しかし転機は2004年3月。Walden Venture Capital所属のベンチャーキャピタリスト兼音楽家であったLarry Marcus氏に348回目の『ピッチ』を行った。そしてMarcus氏は9億円の投資に踏み切ったのである。



『彼のプレゼンは実は面白くありませんでした』そう同氏は振り返る。『しかし、それ以上に尋常ではなく面白かったことはTim自身でした。私達は一瞬で彼が真の起業家であり、絶対に失敗をしないと信じることが出来ました

その後、Westergren氏はまた同様のミーティングを設け、投資額の2億円から改めて従業員全員に給与を支払った。そして次のビジネスチャンスを探り、B to Bから B to Cへシフトし、社名を変更、取締役職を以前から顧客対象の商品構築に深い経験のあったJoe Kennedy氏にバトンタッチした。そしてその後、Pandoraのリスナー数は急激に増加し、2005年12月には初の広告枠の販売を達成したのである。

しかし2007年には再び自社の収益を全て失う危機に瀕する。連邦法の下、オンラインラジオは全ての曲に対してレコードレーベルに高額な費用を支払わなくならなければなり、一夜でPandoraのビジネスモデルは破壊されそうになった。そしてこの時期に、Westergren氏はさすがに会社を辞めることを一考したと述べている、

だがそこで同氏は諦めなかった。その代わりに、Pandoraはワシントンにてロビーストを雇い、リスナーをリクルートし彼らの議員に対してレターを書くよう頼んだ。『Pandoraのユーザーの多くはユーザーという枠を超えている』と以前Pandoraについてケーススタディーを書いたハーバードビジネススクールのWilly C. Shih教授は述べる。『これは全く異なるマーケティング手法です』
そして2年間の議論の末、議会はレコードレーベルへの支払いを低額金額に抑えることを認めた。

続いて2008年には、Pandoraはモバイルでも人々が音楽をストリーム出来るようにiPhoneアプリケーションをリリース。その直後、3万5千人の新ユーザーが同社サービスに彼らのモバイルから参加。そして一日単位のサインアップ数も急増したのである。


(Blackberry上のPandora Radio)

この動きはPandora、そして彼らのリスナーにとっては、『飛躍』を意味した。何故ならインターネットラジオはコンピューターに固定されなくなったからだ。人々はジムで運動をしながら、自動車を運転しながら、リビングルームにいながら、携帯から好きな音楽をいつでも聴けるようになったのである。

2010年1月、PandoraはFordと結んだ新たなディールを発表。Ford社の音声反応シンクシステムにPandora機能が追加され、ドライバーが『Lady Gagaステーションをローンチ』と言うだけで自動的にラジオが起動することが可能になった。また消費者電化製品をカバーする多くの企業、サムソングや、Vizio、Sonosも続いてPandoraを彼らのブルーレイプレイヤー、テレビ、スピーカーシステムに追加している。

そしてPandoraはかつてのAM/PMラジオが人々にもたらした同様のインパクトを生むことを狙っている

**和訳 終了**

Pandora Radioの成功の裏にあるこの激動ストーリー。
自分はWestergren氏の絶え間ないパッションに相当な刺激を頂きました。

信じて貫き通す、10年ぶつかっても挫けない。それが本気で何かに打ち込むということ。
300以上のプレゼンをベンチャーキャピタリストに行い、従業員に無給で働いて欲しいと、頭を下げる。
そんな彼の努力を誰が笑えるだろう。

最高にアツい生き様。やはりこういった姿に彼の周りの人間は心を打たれるのだと想う。

そしてサービス内容としても、PCからスマートフォンへのシフトも間違いない意思決定。自分の友人の多くがiPhone上でPadora Radioを楽しんでいます。
シフトの必要性を感じ、如何にそれをスムーズに行えるかが今後サービスの成功・失敗を分けるラインとなると感じます。

Pandora Radioお勧めです。

1 件のコメント:

  1. Pandor radioをアメリカに居たときに”四六時中”利用していたました。
    「音楽が聞きたいけど、何を聞いていいか分からない」僕にとっては
    最高のツールでした。Pandora radioが今のようになるまでの苦労の一部を知る事が出来てとても良かったです。ありがとうございました。

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